江戸時代に整備された五街道のうちのひとつである東海道には、東京から京都までの間には53の宿場があり、出発の東京と到着の京都を加えて55の浮世絵があります。
手前を流れる六郷川(現在の多摩川)を渡ると川崎に入ります。暴れ川として知られた六郷川、船頭が竿を川に突き刺し、力強く舟を進めます。岸の奥に見える川合所(料金所)で渡し賃を払い、舟に乗りました。
元の絵は、渡し船や岸辺の風景が中心とりますが、樹木に隠れて見えない奥の宿場の建物も細かく作りこみました。宿屋に加え、風呂屋や井戸、茶屋と飯屋、農家や小屋、今も川崎にある妙遠寺などを配置しました。人物の裏側や細かい樹木もしっかり表現しています。小さくて制作が難しい樹木は透明シートに印刷して丸っと切り出して使用しています。
「台之景」は神奈川台という丘のことで、茶屋や料理屋が軒を連ねていたそうです。坂の上から三件目の「さくらや」は、現在の「田中屋」の前身です。左は船着き場として栄えた神奈川の港、高台からの絶景です。
元の絵に出来る限り合わせて、家の形態、海側に張り出した露台など細かく造り込みました。手前に在る屋根だけが見える家も縦に切り取った断面のある建物として付け加えています。海に浮かぶ船も、絵に合わせて立体化しています。
保土ヶ谷は、画面手前の帷子(かたびら)川に架けられた新町橋を渡った所、街道の両側に宿場の家並みがあります。街道沿いに連なる店の一番手前には「二八」の看板を掲げたそば屋があり、客引きの姿も見えます。店の裏手には対照的にのどかな田園風景が広がっています。
手前の新町橋を平行四辺形で表現することで奥行き感を出しています。橋の上の駕籠は立体化で存在感を高めました。宿場は、活気を出すように、大小の宿屋、蕎麦屋他の食べ物屋、厩など様々な建物を配置し、更に町行く人々も色々と設定しました。左の田園も奥行きを出して広さを表現しています。
戸塚は江戸から十里半、早朝に日本橋をたった健脚の最初の宿になる場所、速足の人が戸塚に到着する頃の夕景です。旅人がまさに旅籠に到着した場面、客を迎える女と馬から降りる旅人と館を、同じ目の位置から大きく動的に描き、馬から急いで降りている様が、絵にユーモアを加えています。
「こめや」の入口の絵に少し足して茶屋(旅籠)の建物を、屋根を含め斜めに切り取った形で表現し面白味を出しました。柏尾川の向こうの宿場も家屋を作りこんで雰囲気を出しています。客を迎える女と馬から降りる旅人他の人物、馬も裏側をしっかり書き込んであります。川沿いの土手の起伏や燈籠、道標、縁台の上の茶入れ、橋の欄干なども細かく作り込みました。
宗祖が修業で全国を遊行したことから遊行寺とも言われる清浄光寺の門前町藤沢は、東海道の宿駅として発展しました。正面の大鳥居は江ノ島弁財天の入り口を示す一ノ鳥居、一方で大山道へともつながっており、藤澤宿は、遊行寺、大山、江の島詣の人々で賑ったそうです。
鳥居の後ろの橋の上で大きな木太刀を持つ大山詣の人々、鳥居をくぐろうとしている杖をついた江の島詣の人々を出来る限り忠実に再現しました。さらに、原図には描かれていない(後ろになって描けない)家屋をえいやっーと創造して藤沢宿の賑わいを出すように努力しました。
縄手道とはあぜ道のこと、平塚の宿場はくねったあぜ道の先(絵では手前、こちら側)にありました。地平線から迫り出している丸い山は高麗山(こうらいさん、こまやま)です。「く」の字に曲がった道で高麗山との距離を感じさせ、富士山を遠くにのぞかせる見ごたえのある構図です。
構図の良さに助けられて、奥行きを良く感じられる作品になりました。松の木も幹を何重にも重ねて立体感を出しています。部品を重ねてゆく設計もできるようになりました。
高麗山南麓の道、化粧坂(けわいざか)を通過すると大磯宿へと向かいます。大磯の遊女・虎御前が流した涙が雨となったという故事から、梅雨時のしとしと雨を「虎ヶ雨」というそうです。宿場の入口付近でのにわか雨、左奥の沖の海は晴れ。晴雨の対象がおもしろい絵になっています。旅人は皆、雨を避けるように足早に宿場に入っていきます。
街道や宿場周辺の盛り土、奥の海を含めた全体の起伏など曲面の設計もできるようになりました。雨も透明シートを活用して降らしています。
江戸方面から小田原宿に行くには、手前の酒匂川を渡らなければなりません。当時は幕府が架橋や渡し舟を認めなかったので、客や荷物を担いで渡る人足(にんそく)がいました。旅人が平輦台(板に棒二本をつけて四人で担ぐもの)に乗ったり、人夫に肩車されたり、大掛かりな大高輦台(籠を乗せて十数人で担ぐもの)や徒歩などで夕暮れに近い川を渡っていく様子が描かれています。
山の色合いを結構頑張りました。川を渡る人々や奥の小田原城はとても小さいので細かい制作に苦労しました。風景的な絵に対してもそれなりに3D化出来たかなと思っています。
東海道最大の難所の箱根山、登ってゆくと真近に二子山が迫り湖が見え始め、白い富士山が遠くに望めます。大名行列、カラフルにデフォルメされた山々は立体感たっぷりの浮世絵です。
初期の制作です。平面的な山肌の上に、立体化した岩肌を重ねる設計ができるようになりました。
神奈川県コンプリートしました。静岡県に入って進めています。でも、五拾三はまだまだ遠いです(*_*)
朝霧の中、三島神社の前を行く旅人の姿を表わしています。手前の旅人群と針葉樹は輪郭線を描きはっきりとリアルに描写しています。一方、三島明神(現在の三島大社)の燈籠・鳥居と社殿・人家・木立・遠くの旅人などは輪郭線を用いず、ぼかしの濃淡だけで奥行きを出しています。近景のリアルな描写と遠景の影絵風のコントラストで朝の霞を見事に表現しています。
遠景の、社殿・鳥居・燈籠、木立、人家と旅人、近景の旅人群の間に、OHP用紙を用いた不透明なスライドを置いて朝霧の状態を表現しました。遠景には、三島明神に在ったと言われる三重塔、別の針葉樹を置いて霧の中の情景を膨らませています。また、ぼけた景色とはっきりした景色をより意識できるように、燈籠の半分を不透明スライドから露出しています。近景の旅人群には、後ろ姿も書き加えました。
薩埵嶺(さったれい)とは薩埵峠のこと、「東海道」の由井宿と興津(おきつ)宿の真ん中あたりに位置します。峠を越えた先、富士と駿河湾が一望できる地点から描いた明るい絵です。岩肌をあらわにした山道の険しさと静かに広がる海を対比させ、立体的に見せた傑作といわれるそうです。断崖からおっかなびっくり風景を眺める旅人の姿や海風で曲がった松が、面白い景色を作っています。
左側の大きな崖、そこから右斜め下方に続く岩々を手前に大きく配置して、原図の立体感を強調しています。崖や岩にオーバーハング部分を設定して更に立体感を出しました。海は奥にかけて平坦に高さをますことで穏やかさを表現しています。崖や岩肌に松と樹木を原図同様に配置し全体の雰囲気を強調しました。海上の船も一隻3D化して存在感を出しています。設計では、(1)平面と正面図から3Dパネルを生成して組み合わせる、(2)オーバーハングの部分のパネルは展開図では表裏を逆にする等間違いなく展開図を作成することに苦労しました。崖と岩をかなり複雑な形状としたので作り甲斐のある作品となりました。