箱根七湯図会

 箱根早川沿いの七湯はそれぞれ自然環境・湯治効能・歴史を異にしていましたが、江戸時代に入ってから箱根七湯の総称でよばれ始めたそうです。宝永四年(1707)の「千尋日本織」に『相州箱根の山に温泉七ケ所あり、湯本・塔之沢・堂ケ嶋・宮之下・底倉・木賀・芦之湯なり、孰もその能ありて春のはんじよう大かたならず、宿をあらそひ、幕を引て込入ぬ』とあります。

 温泉湯治の大衆・遊楽化に伴い「七湯廻り」が始まりました。広重一行は、まず湯本福住で一泊、塔之沢で遊び、七湯の湯治場を巡りながら箱根の芦ノ湯に出て、その後東海道を湯本へ下ったと思われます。この広重一行が通ったコースが箱根七湯廻りの典型的なコースでした。広重はこの旅の先々で彩管を振い、旅絵日記(武相名所旅絵日記)として残しましたが、更にその成果を「箱根七湯図会」という形で発表しました。「七湯方角略図」は、宿泊した湯宿福住の主人福住九蔵の依頼により製作したものだそうです。

(データ有のものは、お問い合わせいただければ直ぐに図面を送付できます。他は、お時間をいただきたく。)

湯もと(データ有)

 早川と須雲川との合流地点に位置する湯本の温泉場を、東海道側から見るアングルで描かれており、街道には行き交う人々も配されています。